
久しぶりに会った人と話しをしていて、ふと車の話になった。
長年乗っていた愛車を手放すんだと言う。
もう、死ぬまで一緒だと思っていたのだが、あまりにお金がかかるので泣く泣くお別れするのだそうだ。
そうかー。かつて乗せてもらったこともあったが、味わい深い、いい車だった。
で、次はどうするの?
「次は○○です。中古の。僕どうも新車ダメなんですよね。中古しかダメなんです」。
ああ、なるほど。イタリアの、これまた美しい車だ、たぶん。
車の最も効率のいい買い方というのを聞いたことがある。
新車を買って楽しみ、2、3年で下取り価格があまり下がらないうちに手放し、その資金を充当してまた新しいモデルを買うのだという。
それがエコだとはとても思えないが、状態のいい新しい中古車(?)が市場に多く出回ることは歓迎だ。
中古車の良さはやっぱり「新車より安い」ってことだが、それに尽きるわけではないようだ。
さきほどの「僕、中古しかダメなんです」というのは、お金がないから新車買えないですというのとは少しちがう。
昔知り合いが、これまた中古で手に入れ死ぬまで一緒だと愛していた車を泣く泣く手放した。
しばらくして、偶然にも街でその車を見かけたのだという。
「そりゃあショックじゃった。なんか昔の彼女が今の男と歩いとるの見るような気分じゃった」そうだ。
しかし、その後ろ姿を見送りながら、「・・・大事にしてもらえよ・・・」とつぶやいたと言う。運転席の顔は見えなかったが、絶対いい人に違いないと。
骨董品にもそんな気分がある。
それが誰だか知らないけど、ずっと昔から愛され大切にされてきたものを受け継ぐ喜び。
「いい!コレいい!大好き!」というその気持ちは、時空を超えて「あーわかるわかる」とつながる感じがするのだ。
不思議なご縁があって自分の手元にきたものは、大事に愛したい。
そしてまた自分の手を離れ誰かのものになるまで、一時預かる気持ちなのだと聞く。
旅する骨董。愛されるままに流れてゆく、とても豊かな文化だと思う。
もちろん車は何世紀も時代を超えるわけにはいかない。メカ的な寿命もある。
だけど、
ああ、知らない誰かも、この車とどこまでも走っていろんな景色を見たんだろうなあ。
その連帯感はきっと心地よいものだろう。
真っ白なものを自分色に染めて占有する喜びも、確かにある。
だけど、お互いの過去を豊かなものと認め合い、寄り添い手を取り合う関係はとても大人だと思うし、それこそが今必要とされている感覚だと思う。
※まるでわたしの作り話のようですが、このコラムはおそろしいことにすべてノンフィクションなんですよー。