愛すべきエンスーたち

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エンスーとは


Iエンスー Vol.27 エンスーの血

さてこのコラムにしばしば登場するA氏は実の兄である。
A氏が筋金入りの車好きになったのは、少年時代に遭遇したスーパーカーブームなどの外的要因もさることながら、実は遺伝的要因が大きいのではないかと思う。

A氏の父はわたしの父でもあるのだが、これまたA氏にワをかけて車好きなのであった。

2年前、輸入車ショーに出かけた父がタクシーで帰宅した。
気分でも悪くなったのかと心配した母があわてて出迎えると、トランクからなにやらでっかいものを担ぎ出してきた。子ども乗用ミニカー(しかも輸入車)であった。
兄A氏が幼稚園の頃、やはり赤い乗用ミニカーを買い与えたのだが、当時は給料が安くて大きなのを買ってやれなかったのだと言う。そのカタキを孫でとったわけである。
息子はでっかくて黄色い車に狂喜乱舞したが、せまいマンションの居室に持ち帰り、今では息子専用テレビ座椅子として鎮座している。

そんな父の車遍歴をたどってみたい。

大阪の大学工学部に進学した父は「自動車部」に入部。阪南にドライブにでかけ、エンジンがかからなくなり部員で押して帰るなどという活動をしていたらしい。

母とは見合い結婚だったが、初めてのデートで、父は新車のトヨタ・パブリカに乗ってやってきた。背広は岡田洋服店、広島の高級テーラーだ。そして衆望というレストランでステーキをごちそうしてもらったらしい。どんなお金持ちかとびっくりしたが、後にそのデート代は親戚に懇願して借りた金で払われたことが判明した。母はちょっとしたサギに会った模様だ。

1960年代の日本はまだ、車を買うという行為の価値観が今とぜんぜん違っていた。
時代は東京オリンピックに沸き立ち、高速道路も大都市間を結びはじめ、自動車が大衆に普及し始めた頃。しかしまだまだ車なんて高かったし、超贅沢品だった。
ましてや20代そこそこの若者で車を持っている人なんてあんまりいなかったのではないか。
当時の父の月給は3万円くらい。出世に影響すると言われてもおかまいなしに会社の株を売っぱらい、それで40万の新車を買ったそうだ。上司を尻目に新車で通勤していた父の勤め人マインドはいかがなものかとも思うが。

「おとうさんもやっぱりエンジンばらしてたわよ」
「いや、エンジンじゃないよ、キャブレターだよ」
当時の車は今ほど精密でもなく、ボンネットを開ければ半分は地面が見えてるくらいスカスカで、素人でも手を入れやすいものだった。自転車を組み立てる感覚と近いか?
新車をばーんと買うよりも、中古で安く買ってきて、解体屋さんから部品をいろいろ買ってきては、近所のガソリンスタンドのガレージをちょっと借りたりして修理して組み立てて乗るような時代だったのだ。
父は新車をばーんと買ったわけだが、やはりプラグを磨いたりキャブレターを調整したりファンベルトを交換したり、オイルまみれになって嬉々として手を入れていたようだ。

さてパブリカの次に乗り換えたのがニッサン・ダットサン・ブルーバードだ。
やがてトヨタ・コロナにチェンジする。
このころ、コロナとブルーバードは熾烈な販売合戦を繰り広げており、「BC戦争」と呼ばれていたらしい。父はまんまとトレンドど真ん中にいたわけである。

その次は「コロナをよりスポーティに高級化した」車、トヨタ・マークIIへ。
転勤で東京行きとなり一時車を手放すも、帰広して再び新車を購入。
父の弟が地元自動車メーカーのディーラーに勤めており、マークIIを購入した時、なんでわしから買わんのかと兄弟喧嘩をして口もきかなくなったらしい。 それでこのたびはマツダ・ルーチェをチョイス。

この車はわたしも知っている。カペラからぐんと大きくなって乗り心地もいい車がおうちにやってきたのをよく覚えている。
「広島のベンツ」と言われていたこの車で、いろんなところに行ったなあ。
週末になると、母がおにぎりを握ってお弁当をこしらえ、父が車を走らせ郊外へピクニックに出かけた。みんなで食べるお弁当は美味しかったし、田舎の風景の中でヨモギを摘んだり川で遊んだり、帰りは後部座席でいつのまにか寝てしまった。父と母の会話を聞きながら心地よい揺れに眠るのは、とっても安心で幸せそのものだった。

そして父は長年の夢を叶えた。
家を建て替えるつもりはないからと断言し、とうとう高級輸入車を手に入れたのだった。
広島の、ではなく、ドイツのやつであった。
しかしその後やっぱり家も建て替えたもんだから、母はまたもやちょっとしたサギにあった模様だ。

そのころちょうどわたしも大学生となり、免許を取得した。
免許取りたて、初めてのドライブは、父の新車で、助手席に父を乗せて出かけた。
左が甘くてガードレールに寄るたびに「あぶないっ!!!」と悲鳴が上がっていたのが忘れられない。

その車も今年で14年目を迎える。

父は先日、ひとりで長いドライブにでかけた。行き先は天国。帰ってくる予定はない。
乗る人を失った車は今も、ガレージで父を待ってる。

父の人生は、でこぼこ道だっただろうか。
だけど、そのハンドルさばきは確かだったと思う。
家族を乗せて、今日まで。
おとうさん、ありがとう。おつかれさまでした。

※まるでわたしの作り話のようですが、このコラムはおそろしいことにすべてノンフィクションなんですよー。