
すっかり秋の気配ですね。
それにしても高速料金1000エンというのもあってか、お盆の大ラッシュはただごとではなかった。お盆期間中高速道路は使わなかったが、一般道の交通量も例年の1.5倍(体感値)って感じだった。
県内外の車が一斉に移動し、平日にもかかわらず市内の主要道路はあちこちで渋滞、いつもなら15分で行けるところに30分経ってもたどり着けない。イライラしながらジリジリ進む。
信号が青になり前の車が発進し、ぼんやりしてたその一瞬、左横の車がウインカーも出さずに前に飛び込んできた。それだけならまだしも、そのまま右折するべく停車しておる。
異変に気づいた後続車がぞくぞく左車線に逃げて追い超していく。こっちはにっちもさっちも動きがとれない。ちょっと〜〜〜〜!
もうずいぶん昔、「シリアル・ママ」という映画を見たことがある。
このシリアルというのは朝食に美味しく食べるあれではなくて、連続、殺人犯のママ、という意味だ。
アメリカの中流家庭の良妻賢母の“ママ”は、家族と自分の価値観を愛し他人に強要する。で、ルールを守らない人にはお仕置きとして殺しちゃうのであった。息子の悪口を言った先生、娘をフッた彼、レンタルビデオのテープを巻き戻さないで返す人・・・次々と“ママ”の手によって制裁を加えられていくのであったー。
サスペンスというよりブラックコメディーなのだが、笑いながらどこか笑いきれないものを感じていた。
だってその“ママ”が私の中にもいるんだもの。
私の中の“ママ”はおもむろにダッシュボードから出刃包丁をとりだし、ドアを開けて車を降り、前の迷惑右折待ちワンボックスカーの運転席に近づいていった。
ワンボックスカー運転手は懇願する。すいませんごめんなさい今度からちゃんとウインカーだします〜〜〜〜!運転席から響き渡る悲鳴、
などという惨劇はおこらずそのワンボックスカーは赤信号ちょい前スムーズに右折して立体駐車場に滑り込んでいった。
どんなやつかと見送ると、私と同い年くらいの女性が満載の子どもらと忙しそうに話しているのが見えた。
それからどうしたことか、ウインカーを出さない車にやたら遭遇する。
車間距離があいてるからって、ぬめ〜〜〜〜っと、のめ〜〜〜〜〜っとラインをまたいでゆらゆら走るのだ。
その度に見えない槍や長刀や鉄砲で制裁を加えていたが、いい加減くたびれた。
一台の車がまたのめ〜〜〜っとわたしの車の前に入ってきて、のめ〜〜〜っと隣の車線に外れていった。信号待ちで隣になった。
もう、ウインカーだせっちゅうに・・・その車のドライバーは、なんというか普通のおじさんだった。火のついたタバコを持った右手を、開けた窓から外に出している。
ああ、国産車だと右手がふさがってたらウインカー出しにくいんだ。
信号が青になると、おじさんはもうひと吸いしたタバコをそのまま窓の外に落とし、またぬめ〜〜〜っと走りはじめたのだった。
もうやっつける気にもならん。
おじさんはきっと、自分の思いとか意思とかちゃんと表示しない人生を生きてるんだ。
妻にも子にも、言わなくてもわかるだろうとタカをくくって甘えて、周りの人たちも察したりあきらめたりしてなんとかやっているんだろう。仕事だってそうだ。報われない思いを酒でごまかしたり考えないようにして今まで生きてきたんだろう。
そんな人が、周りの車に意思表示をする必要を感じるわけがない。
ぶつからんにゃええんじゃろ、きをつけりゃええんじゃろ、と。
おじさんは自分の力をしらないんだ。自分がちゃんと意思表示をしたら、それに応えて状況が変わっていくという、自力をあきらめてきたんだ。
などと人の人生を勝手に想像しつつおじさん、事故しないようにね、と見送る。
誰だってまあ、そうだ。自分の力はちっぽけで、自分一人がどうこうしたってなにも変わらない、自分ですら変われないのにましてや人なんか変えることはできない。そういうあきらめの中で曖昧に暮らしている。世の中は変わらない、そういう呪文で世の中はできている。そうだそうだ変わらない、あきらめて受け入れる人が多い方が、都合がいい誰かもいるのだ。
変わらないかな?ほんとにそう?
以前、兄A氏の運転する車の助手席に乗っていた時のこと。
前方対向車線に右折待ちの車が顔を出している。
じりじりとこのまま右折しそうだ。
そんなとき、兄A氏は突然グンとアクセルを踏み込んでややスピードをあげ、その右折待ちの車をパスしていった。
わたしだったらブレーキを踏みそうな場面だ。なんで加速したの?
「この車は車体が小さいから、スピードの割に見た目遅く感じるんだ。さっきの車も曲がれるかな、と思ってじりじり出てきてた。この車は加速するとグンとフロントが持ち上がる感じに見える。そうやってしっかり“このままのスピードで直進しますよ”と主張してあげないと、中途半端に曲がられてもあぶないでしょ」
自分の意志をはっきり表現して伝える、そういうポジティブな事故回避というかコミュニケーションが成立するんだとちょっと驚いたのだった。
車は言葉を使わないコミュニケーションで成り立っている。
法律やルールで決められているからウインカーを出すのではなくて、それは自分の意志を伝えるための車の言葉なのだ。
曲がりまーす、停まりまーす、車線変更したいんですけどー、そうやってちゃんと周りの車に伝えれば事故もなく、不必要に人を不快にしない。意思を受け取った車は、ああそう、と車間を空けてくれたり気をつけて速度を緩めてくれたりする。
ちゃんと話してよ。ちゃんと届くから。
それは機嫌良く生きるための工夫だと思うのだ。
※まるでわたしの作り話のようですが、このコラムはおそろしいことにすべてノンフィクションなんですよー。